スポーツには物語がある。「演じる種目」であるフィギュアスケートは、とりわけストーリー性が色濃い。ジャンプ、ステップに選手が長い時間をかけて磨いてきた技術や思いが凝縮される。10日に行われた男子のフリー演技は、北京五輪に向けたそれぞれの物語の完結編だった。
ネーサン・チェン(米国)は完全優勝で4年前の平昌五輪の雪辱を果たした。初出場の鍵山優真が銀、宇野昌磨は前回の銀に続く銅メダルを獲得した。羽生結弦は果敢にクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)に挑んだが失敗し、3連覇はならず4位に敗れた。
▽チェン、雪辱果たす完全優勝
チェンには、4年前のような不安定さは全くなかった。平昌ではショートプラグラム(SP)で、直前に記録した羽生の高得点に重圧を感じたのか、ことごとくジャンプを失敗して大きく出遅れ、メダルにも届かなかった。「僕の人生で最もひどい経験だった。その後、考え直した。五輪は素晴らしい大会なのだから、もっと楽しむべきだとね」
5種類の4回転ジャンプをすべてものにし、平昌後の世界選手権で3連覇。今大会もSPで世界最高得点を挙げて大きくリードした。最大のライバル羽生が出遅れたことで、フリー演技でのプレッシャーも緩和された。冒頭からコンビネーションも交えて高得点を稼ぐ4回転をつぎつぎと着氷。7度のジャンプ要素のうち5度に4回転を組み込む圧巻の演技で、滑り終えた時点で金メダルを確信した。
中国は1988年に米国に移住した両親の祖国。第二の故郷でもある北京のリンクは「ネーサン劇場」と化した。2位に22点以上の大差をつける圧勝だった。
▽鍵山親子の夢、結実
18歳の鍵山は、父の正和コーチとの二人三脚で親子の夢だった「五輪メダル」にたどりついた。
正和さんは92年アルベールビル、94年リレハンメル五輪に日本のエースとして出場した。両大会ともトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)に失敗して13位、12位に終わった。大舞台で犯したジャンプのミスを、息子には繰り返させたくなかった。鍵山には「一本のジャンプを習熟するまでは、新しいジャンプを跳ばせなかった」という。
その父親の方針にしっかりとこたえて、鍵山はジャンプの質を磨いた。フリーでは4回転ループのみ出来栄え点(GOE)がマイナス評価だったが、残る4回転3本を含む6本のジャンプはすべてGOEで加点を得た。日本選手の最高位を「父と一緒に頑張ってきた。数年間のすべてが詰まったメダル」と喜んだ。
▽銅の宇野、今後もトップ目指す
宇野は「トップを目指した結果」の銅メダルだった。「僕は2番から4、5番手の選手だったのです」とこれまでのスケート人生を振り返ったことがある。「2番になった時でも、上には羽生さんがいたり、ネーサン(チェン)がいた」
17年世界選手権と平昌五輪は羽生に次ぐ2位、18年世界選手権はチェンに次ぐ2位だった。真のトップを目指すために今大会では4回転4種類を計5本組み込んだ。すべてに成功すればチェンにも肉薄できる構成だったが、サルコーやフリップがミスとなり得点を伸ばせなかった。
それでも宇野は前を向いていた。「この構成、この練習を続けていけばもっとレベルが上がって、今のネーサン(チェン)のような位置で戦うことも可能じゃないかと思う」。頂点を目指す意欲は失っていなかった。
▽羽生「全部、出し切った」
SPでの8位スタートで、3連覇が厳しくなっていた羽生は、史上初の4回転半ジャンプ成功にかけた。前向きに踏み切ったうえで、通常の4回転より半回転多いこの難ジャンプを攻略するには、素早い回転速度とジャンプの高さが必要となる。公式練習や演技前の6分間練習でも失敗が続いていたが、それでも羽生は大技に挑んだ。
全日本選手権でのような両足ではなく、きちんと片足で着氷したかに見えたが転倒。公式記録では回転不足とも評価された。緊張の糸が切れたのか、続く4回転サルコーでも転倒し逆転メダルが遠のいた。
圧倒的な存在感でこの10年近く世界のフィギュア界をけん引してきた絶対王者だった。チェンでさえ「羽生はこれまでも、今後もずっとフィギュア界の憧れの存在であり続ける」とリスペクトしている。無難にまとめれば、金は困難でもメダルには手が届きそうだった。それでも、リスクの高い4回転半に挑戦することが、第一人者の誇りでもあった。
「全部出し切ったというのが正直な気持ち。報われない努力だったかもしれないが、これ以上ないくらいに頑張った」。ちょっと涙ぐみそうになりながら、羽生らしい悪びれない言葉が続いた。氷上での羽生の物語に続編はあるのだろうか?(共同通信・荻田則夫)