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顔の半分が真っ赤に…アトピー姿を公開した女性、幼少期は“汚いもの”として扱われ「人に触れる行為に罪悪感を持っていた」

アトピー姿を公開した夕霧わかなさん(Instagram/@ugiri_w1)

 顔の真ん中に線を引き、半分を本で隠している女性。その本を動かすと、アトピー性皮膚炎で顔の半分が真っ赤になってしまっている。「久しぶりにしっかりアトピー出たから撮ってみた」と題されたこの動画が452万回再生を超える反響を呼び、「どっちのお顔も良き」「笑顔が最高に素敵です」「本人が好きならそれが一番!」「あなた本当に心から美しいよ」などとコメントが寄せられた。苦労したことや同じようにアトピーに悩む人たちへの想いなどについて、投稿者の夕霧わかなさんに話を聞いた。

【写真】絵本の下に隠された素顔「笑顔が最高に素敵です」

◆「“なぜ私ばかり”と毎晩涙が出た」 アトピーによって劣等感と苦痛に悩まされた過去

――動画「久しぶりにしっかりアトピー出たから撮ってみた」が話題になりました。子どもの頃は、ご自身の肌や見た目に対してどのような感情を抱いていましたか?

「劣等感の塊でした。最も見た目が気になる思春期に、外見がボロボロになり、好奇の視線にさらされることになるので…。顔の皮膚はべろりと剥がれて、かなり衝撃的な姿でした。子ども時代は身体中に生傷が絶えない状態で、新しい傷ができなくなった今でも、アトピー由来のシミや白斑は身体中にあります。保育園から小学生頃についたままで、私の場合はもう一生消えません。昔はとても嫌でした」

――学生時代などは?

「自分の見た目が恥ずかしく、人に見られるのが怖くて、学生時代はずっと視線を避けていました。白い肌の同級生が妬ましくて、『なぜ私ばかり…』と毎晩涙が出ました。柔らかな太陽の光に包まれた教室が怖くて仕方なかった。私が何を考えて何を語ろうと何の意味もなく、光によって『自分がどんな存在か』を、逃げ場なく思い知らされるような感覚がありました。夜が好きな子どもでした。真っ暗な夜の中に体が溶けて、誰にも私の姿が見えなくなったとき、初めて人間になれた気がしたので…」

――幼少期や学生時代、アトピーの症状で「日常生活や学校生活がつらい」と感じたのはどのような場面でしたか?

「どんなときでも、何をしていても、意識がある限り苦痛が消えません。そういう病気なのです。朝、意識が戻ってきて一番にやることは、布団の中で体を触ってみること。ぬるぬるとした感覚があると、その日はハードモード確定なのでがっかりします。掻きすぎて体液があちこちに漏れ出しているんです」

――掻いたことで痛みも生じてしまいますよね。

「痛すぎて泣き叫びながら体を起こし、無理やり制服を着て登校していました。学校に行っても体が痛すぎて、しゃがんだりふたつ折れの姿勢になったりはできず、消しゴム落とすと拾ってもらえるのを待っていました」

◆人に触れる行為に罪悪感を持つようになってしまうほどに…「汚いものとして扱われていた」

――体育の授業などはどうしていたのですか?

「一度休んだら二度と出席できない気がして…無理して気合いで出席していました。しかし今思えば、悪化の要因だったかもしれません。かなり改善してきた今でも汗はトリガーになりますし、当時も汗をかくとわかりやすく悪化していました」

――帰宅してからはどのように過ごしていましたか?

「固まった血や滲出液(しんしゅつえき)のせいで、服が体に張り付いて取れなくなっているので、帰宅してからバリバリと剥がします。傷口にはびっしりと服の繊維が固まっているので、お湯でふやかして取ります。全身に薬を3種類くらい塗って、お風呂ルーティンは終わりです」

――就寝中はどういった感じなのでしょうか?

「寝ている間は意識がなくなることで自制が効かなくなり、起きている間の何倍も掻くようです。手袋を嵌めたり手を縛って寝たりしましたが、大して効果はありませんでした。ヌルヌルになるまで掻いてしまって、また朝がくる。そのくり返しです。意識がある限り、精神が休まることはなかなかありませんでしたね」

――周囲の人たちからの視線はどうでした?

「うーん。小学生時代は、基本的に汚いものとして扱われていたかも。周りの子は私の触れたものには触ろうとしないし、私がプリントを後ろの席に回すと、汚いものをつまむような動きをされたり。友達が落としたハンカチを拾って渡したら、ゾッとした顔でハンカチをパッパッとはたかれたり。まあそんな感じでしたね。私自身も『客観的に見て自分は汚いものだ』と思い始めてたので、自然と『そういうものか』と受け入れていました」

――壮絶な経験ですね…。周囲の人たちの対応により、ご自身の中でも意識の変化はありましたか?

「小学1年生~中学2年生頃までそんな扱いだったので、そのうちつらいとも感じなくなり、何の違和感も覚えなくなりました。『汚い』の言葉は次第に“自覚”になってきて、手を繋ぐなどの人に触れる行為に罪悪感を持つようになりました。私が触れたら相手を汚してしまうと思っていました。でも、毎日お風呂に入ってしっかり薬を塗っても、黒い制服にパラパラと剥がれた皮膚が落ちるし、頭皮の皮もベロっと剥けてフケが出る。そんな自分をどうすることもできない。給食当番になると、『みんなに悪いな』と思っていました。よりによってみんなの口に入るものが、強制的に私の手に触れるのだから、申し訳なかった」

◆学校での嫌がらせも“大変なこと”ではない…「痛みを取り除き、明日も生きていくか」に必死だった

――集団生活の中で、どうしようもないこともたくさんあったと思います。

「それでも私にとって学校での体験は、当時一番大変なことではありませんでした。私は友達からの視線よりも、どうやってこの痛みを取り除くか、明日も生きていくか、それだけに必死になっていました。今となっては、当時の友達に対して恨みも何も持っていません。当時の私の見目は客観的に見てショッキングなものだっただろうし、子どもは感想を素直に口に出すもの。だから、そういうこともあるかなと思うだけです」

――そんな風に思える理由は?

「人生で“悪い人”にはひとりも会ったことがないと、わりと真剣に思っているタイプです。“悪いこと”をする人はいるかもしれない。でも、そこには人間が持つ自然な弱さやそれぞれに背景があるということだけ。私の価値観では、人は間違うもので、だからこそ愛しいんですよね」

――逆に、周囲の人たちからの言動でうれしかったことはありますか?

「学校では友達は多いほうではなかったのですが、仲良くしてくれる友達はいつも一定数いてありがたかったです。完全に孤独になったことは、人生で一度もありませんでした。友達が家に泊まりにきたとき、お風呂上がりの私の顔を見て驚いた顔をしたので『どうかした?』と聞いたら、すぐに笑顔になって、『今日もあなたはすごく可愛いなと思って、ついジッと見ちゃった』と言ったんです。鏡を見たら、お風呂で温められた私の顔は、人相が変わるレベルで真っ赤に腫れていました。当時10歳とかだったのに、あんな声かけのできる子はいないですし、人として尊敬したのを覚えています。すごくありがたかった」

――10歳でその返答はすごいですね。

「私の傷を心配して、自ら薬を塗ってくれた子もいました。涙が出るほどうれしかったです。幼い頃から今に至るまで、いつもそばで見守ってくれる人たちがいました。そしえ家庭では、たくさんの愛情を受けて育ってきたなと思います。そういう身近な人たちから愛の何たるかを学び、たくさんの人から優しさを受けてきて、今の私があります」"

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